17年前と変わったこと(タンザニア①)
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- 10月24日
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10月4日から21日まで二週間半、タンザニアに行っていました。これから数回に分けて、当地で感じたこと、考えたこと、したことについて書いてみたいと思います。
アフリカ大陸に降り立つのは、記憶が正しければ、実に17年ぶりのことでした。アフリカで最後の任地だったエリトリアを離れて以来です。
足かけ四年くらい仕事をしたアフリカ大陸の中でも、タンザニアという国には行ったことがありませんでした。
なんだか、やさしい、落ち着いた、それでいてどっしりとしたイメージをずっと抱いていました。その意味では、住んでいたことのあるザンビアと似ているけれど、さらに、しっかりと高らかに太陽が照っていて、「揺るぎない」というイメージです。
このイメージは、どこから来ていたんだろう・・・?
長く一緒に仕事をしたタンザニア人の同僚、というのはいなかったと思うので、タンザニアで仕事したことのある同僚や、タンザニア人のパートナーのいる人たちから聞いていた話から形作られた印象だったのかなあ、と思います。
今回は、アフリカを最後に後にした17年前当時と今とで変わったことについて書いてみます。
過渡期からシニアへ
当時、38歳だった私は今、55歳です。国連で働き始めてようやっと10年くらいになり、中堅のミッドキャリアとして、ある意味「過渡期」にもあった年齢の17年前。
今は、と言えば、アフリカで仕事をしたきっかけである、国際機関での仕事を後にしてすでに丸四年。コーチングとファシリテーションの分野でのプロフェッショナルとなり、また、大学講師という役割でも五年目に入りました。
すっかり、しっかり、「シニア」の仲間入りをしたなあ、と感じます。
シニアの意味するところは色々あると思いますが、私にとっては、「自分がこの人生においてオファーできること」が、しっかり、とは言わないまでも、ある程度は分かっていて、それに向かって一歩一歩、足を踏み締めている感じです。
もちろん迷いや悩みがない、ということはないですが、過渡期の頃とは違う落ち着きがあります。
「ひとり」から母親に
アフリカで仕事をしていた当時の私は、本当に「ひとり」でした。
大陸の中心に近く、周辺に日本人はおろか外国人がほとんどいないような場所でひっそりと暮らしていたこともある一方で、ボーイフレンドがいた時期もありますが、そういうこと以上に、何かもっと自分の存在の深い部分での、「ひとりで生きている」感。
当時書き始めたブログの名前を考えた時、感覚的に、
My Little Corner of the World
というフレーズが浮かんできて、その切なさがどんぴしゃり、な感じがしたのは、やはり自分が本当に「ひとりだなあ」と感じていたからでしょう。
最後に大陸を後にしたのは17年前、と書いてそんなに前だったのか・・・と思いますが、当時「ひとり」だった私に今は娘がおり、その娘がもうすぐ15歳になるのだと思えば当然ですね。
母親になったことは、当たり前かもしれないですが、アイデンティティの大変革です。この17年で起こった変化の中でも一番大きなものかな。
根無草を返上
国連での仕事を始めた頃、親友に、「根無草なのが気持ちいい!」と伝えたことがあります。
その友人も私も、ビリー・ジョエルが好きで、My Life というタイトルの歌がまさに当時の私の心境そのものだと彼女への手紙に書いたことも覚えています。
どこにも根を張らない、ある場所から次の場所へとさすらっていく、スナフキンみたいな生き方。それがなんか「かっこいいな」と思っていました。
その私もやがて、「二、三年ごとにコンピューターをリブートするかのごとく住む場所も、培った人間関係も後にしていくのはもうたくさん!」と思うようになります。
娘ができて学齢期に近づくとその思いはさらに強くなり、9年前にオランダに腰を落ち着けました。
人生で初めて、自分の家を持ち、そこは祖国ではない場所で、「ここに根付くんだ」と定住を意識してすでに9年になりました。
いつも「つながっている」という感覚
17年前当時、シンプルなSMSを送れる携帯電話はすでにありましたが、インターネットへのアクセスは、小さな事務所にあるコンピュータからのみ。ブログ記事などは、オフラインで書いたものを、業務時間の後や、週末に事務所に行ってアップしていました。
そのインターネットも、何らかの不具合などで繋がらないことも多かったです。
現在は、スマホを通していつでも、どこでも、誰ともつながっていられます。
ソーシャルメディアやインスタントメッセージアプリ(ラインやワッツアップ)で、地球の裏側にいる家族や友人と瞬時に繋がれる、というよなものはかつてはなかったのです。
こう書いていて、もしかしたらこれが私にとって一番大きな変化かもしれないなあ、と感じます。
何せ、親しい人たちと離れて暮らし、仕事をすることからくる孤独感、「世界から取り残されている」という感覚、というのが、私にとってはとてもつらいものだった時期があるからです。
まさに、アフリカ大陸の真ん中あたり、いわゆる「僻地」と言われるような現場で仕事をしていた時。
My Little Corner of the World を書き始めた頃です。
そこでブログを書き、自分の気持ちを吐き出すことでなんとか心の均衡を保っていたという側面もありました。
ブログの存在を知っていたのはほんの数人の友人だけ。
コメントを寄せてもらうのも、自分が記事を書いてから少したってから、が普通でした。今のように、瞬時にリアクションがあるようなことはありません。
こう振り返ると、今回、タンザニアの村でさえ、スマホをいじって瞬時にその場の様子などを家族に伝えられ、それに対する相手からの反応がある、それ自体が「隔世の感」でした。
さあ、次回はタンザニアに何をしに行ったのか、について書きたいと思います。
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