「激励」
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- 2021年1月9日
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更新日:1月5日
年の瀬の朝、恩師、藤田公郎さんが亡くなられていたことを知りました。
この方は、日本国の大使や国際協力機構(JICA、当時は国際協力事業団)の総裁をされていた、いわゆる「偉い方」でしたが、そのような要職を退かれた直後、ご自身がJICAのシニアボランティア制度を利用して、私が当時国連ボランティア(UNV)として生活していた南太平洋の小さな島国にいらっしゃったのでした。今から二十年前のことです。
直接にその方との交流があったのは、期間にしたらほんの数ヶ月間のこと。その間に三、四回お会いして言葉を交わす機会があり、私がその島国から離任した後は一年に一度、年末か年始にメールでのやり取りをしていました。私自身、友人・知人へのご挨拶メールを送らなかった年もあり、最後にこの恩師からお返事をいただいたのは数年前のことでした。病気でお体の具合が良くないことも書かれていたため、その後その方を思い出すたび、「どうされているかな」と気になっていました。
昨年末のある日(つい先週)、久しぶりに挨拶メールの送信ボタンを押した直後、メールアドレス不明として送信不可能なメールが戻ってきました。二十年変わることのなかったこの恩師のメールアドレスでした。はやる気持ちを押さえながら、検索サイトに恩師の名前を入れてみたところ、ヒットしたサイトのうちの一つに、「藤田さんを偲んで」という表現が・・・。亡くなられていたのは一年半前でした。
この恩師との二十年前の、そしてその後二十年間のやりとりを思い浮かべると、「激励」という一言が浮かんできます。いただいたメールの返事の題名が「激励」だったことがあるのです。
二十年前、私は国際機関に職員を派遣するJPO制度に応募しており、当時の島国に国連ボランティアとして赴いたのも、合格を目指して何とか開発援助の現場での経験を積みたい、という熱意からでした。面接の行われたのは遠いスイスのジュネーブで、「地球一周チケット」を利用していくつもの飛行機を乗り継いで行ったものの、面接を受けながらすでに「これはまずいなあ」と思うような出来。当時の私はこの制度に合格すること以外に自分には道はない、くらいの意気込みでいましたから、ひどく落胆してこの島に戻ったのでした。
「補欠合格」という結果に、ああやはり・・・・補欠とは言え、結局また来年受験することになるんだろう、また一からやり直し、一年は長いなあ・・・下を向いていました。
この恩師と初めてお会いする機会が巡ってきた時、この方の何ともざっくばらんなところ、何より、「この人は偉い人だから失礼のないように接しなくては」というようにこちらに感じさせることのない態度に驚きました。そんな接し易さに後押しされ、ほんの瞬時のうちに心を決めて、「個人的にご相談させていただきたいことがある」と初対面であるこの方にお願いしていた自分がいました。
いつでも、と訪問を勧めてくださっただけでなく、「光栄です。」とこの方から出てきた言葉に、深く感動したのを覚えています。
十日後にこの方を訪問、この大大先輩から数々のアドバイスをいただきました。そして一月後、補欠から繰り上げ合格になったようですよ、という知らせを一番に伝えてくださったのは、この恩師でした。
天にも昇る気持ちのその日の日記に、私はこう書いていました。
藤田さんとお知り合いになれたこと、彼が私という存在に誠実に接してくださったこと・・・それを今後いつまでもいつまでも感謝して心にあたためていきたい。・・・絶対に今日の日を忘れまい。どんなに小さな人に対しても心からの誠実を尽くす、大きな人物になりたい。この機会を100倍にもして恩返しをする。
この恩師にいただいたアドバイスや言葉の一言一言は、当時の日記をめくってみれば詳しく書いてあります。今それを読むと、ああそうだった、そんなこともおっしゃってくださったなあ、と懐かしく思い出されます。
一方、あれから二十年の間、この恩師のことを思い出すたびに私の心に湧いてきたのは、当時のちっぽけな私にも心からの思いやりを尽くしてくださった大きな方の励ましでした。
言葉よりも、アドバイスそのものよりも、身を以て、態度で示してくださったあたたかさ、心から相手を思いやり、寄り添ってくれていた気持ち。二十年の間、恩師とメッセージを交わすたびに、彼を思い出すたびに私を包んでくれたのは、そういう気持ちだったのです。
亡くなったことを知り、改めて彼のことを思い出すことで、この恩師の存在そのものが私にとって「激励」だったのだ、と実感しています。
翻って、二十年間の日記に書いたように、「どんなに小さな人に対しても心からの誠実を尽くす」、そのことの尊さを新ためて感じています。そして、難しさも・・・。この二十年、日記に書いたように過ごせてきたのかと振り返ると、必ずしもそうではなかった自分を見つけてがっかり、はっとします。
恩師を亡くし、過去の日記を読み、厚い激励を噛み締めることができて良かった、今、そう思っています。まだまだ、これからの日々、年月があるのですから。
恩師の激励を、明るい太陽のように追いながら、温かさを感じながら、生きていきたいな、そう思います。
藤田さん、どうもありがとうございました。

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