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オランダ語B2ディプロマを取得

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  • 7月21日
  • 読了時間: 9分

更新日:7月22日

試験結果のスクリーンショット
試験結果のスクリーンショット

念願だった、B2レベルの「ディプロマ」を取得した。B2レベルとは、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)での「準上級」に当たるそうで、大学や高等教育機関進学のレベルだそう。

昨年11月に受験した「聴く」と「読む」、今年3月に受験した「書く」に合格し、6月に「話す」部門にも合格した。この「話す」部門は、実は3月にも受験したのだけれど、合格点(500点)に三点満たず、不合格。6月の再受験で合格点を取り、晴れてディプロマの取得に至った。

これまで、A2レベル(初級)には2019年に合格、B1レベル(中級)には2023年に合格してきたので、着実にレベルが上がってきているように見える。実際にそうだとも思うけれど、オランダに移住してきたのは2016年9月なので、B2レベルに達するまで十年近い月日が流れていることになる。

この十年を振り返りながら、外国で、その国の言葉と付き合い、暮らし、働くということについて考えてみたいと思う。

オランダ語との付き合い方の変化

初めてオランダに一定期間継続して住んだのは、法学修士号取得を目指してライデン大学に来た2011年のこと。0歳の娘を育てながら勉強する母子留学だったこともあり、オランダ語を習得するモチベーションも余裕もまったくなかった。

学位取得後、仕事に復帰して中央アジアで過ごし、2016年9月にオランダに戻ってきた時は、「これからここで生きていくんだ」という意図があったし、三年以内に、「市民化試験」(つまりは、オランダ語の試験)に合格する必要もあったので、事情が違った。

それでも、化学兵器禁止機関(OPCW)という国際機関に勤めた2017年から2021年までの間は、日中のほとんどの時間を、エクスパット(一時的にその国に駐在している外国人)の中で英語を使って過ごしていたため、少なくとも仕事の上ではオランダ語を学ぶ必要を感じなかった。

一方、オランダに戻った時にはまだ5歳で、小学校のグループ3(日本での一年生)に編入した最初の二週間、「みんなが英語を話してくれないので分からない」と泣いていた娘は、あっという間にオランダ語が第一言語になっていった。家ではいつの間にか、パートナーと娘はオランダ語で話すようになった。私は危機感と寂しい気持ちを少し感じつつも、市民化試験に合格したのを一つの節目に、仕事で必要でないことを言い訳に、その後はオランダ語の習得をあまり真剣に考えなかった。

事情が変わったのは、2021年8月にOPCWを辞め、ハーグ応用科学大学の講師になってから。教えるのも周りの同僚との会話も英語とはいえ、そこはオランダの教育機関。オランダ語とオランダ社会が一気に身近になった。オランダという国に暮らしているんだ、ここで生きているんだ、という強い実感を持つようになった。

この頃まで、誰かが「オランダ語は難しいでしょう?(だから学ぶのも大変だよね?)」と、今思えば遅々として上達しない私を気遣って言ってくれたような時には、不遜にも、心の中で「冗談でしょう?」と思っていた。というのは、私が初めてオランダ語をきちんと学ぼうとしたのは、つまり、オランダ語のテキストを開いてみたのは、まだカザフスタンでロシア語と悪戦苦闘している時。テキストの最初のページにあるオランダ語があまりにも英語と似ていて、文字通り「涙が出そうなほど」感激した。私の中で、「オランダ語はとっつきやすい言語である」という誤解が形作られたのはこの時だったと思う。

悪戦苦闘のロシア語(左)・その頃出会ったオランダ語(右)
悪戦苦闘のロシア語(左)・その頃出会ったオランダ語(右)

それが、2021年以降、改めてオランダ語に取り組むようになり、この言葉との付き合い方が全く違うものになってくると、

「この言葉は、実はすごく難しい・・・」

と実感するようになった。本当に、ここ一二年でやっと、オランダ語の深み、ニュアンス、そして面白さ、美しさ(とは言い過ぎかな?)を感じるようになったのだ。

言葉って、言葉以上のもの

言葉は、その言葉が話されている社会の鏡だと言われるこの25年、オランダも含めて12以上の国に住み、そこで仕事をしてきた経験から、私も、言語と、その国の文化や社会、人々のありようとは切り離せないことを実感してきた(もちろん、それを身をもって体験するほどにその言語を知ることができた場所は少ないのだけれど)。

ここ数年、オランダ語に真剣に向かい合うようになってから、「外国に住み、その社会で生きていくということはどういうことか」を以前よりずっと深く考えるようになった。オランダ語との関係だけではなく、オランダ社会や、そこに暮らす人々との向き合い方そのものが少しずつ変化した。

すると、ずっと以前の仕事での経験も、違う色で見えるようになってきた。

言葉の分からないフィールドで仕事するということ

人道支援・国際協力分野でさまざまな地域と国で仕事していた時、現場では、その土地出身の同僚、いわゆる現地スタッフの力を借りることなしには仕事はできなかった、と言い切れる。フィールドでの仕事は、その土地の人々と直接関われることがその醍醐味だ、と常々言ってきたが、それはそうすることを助けてくれる同僚たちなしではあり得ないものだった。

もちろん、何をするにも誰かに通訳をお願いしなければならないことに、いつももどかしさを感じていた。

アンゴラの村で、SGBVワークショップを開催
アンゴラの村で、SGBVワークショップを開催

でも、今振り返ると、自分の中に、無意識の思い上がりがあったことを否定できない。国際職員なのだから現地の言葉を話せないのは仕方ない、だから通訳にいてもらうのが当たり前、現地の同僚が通訳してくれるのは、彼らの仕事なので当然。そのように考えていたと思う。このことは、いつ思い出しても、本当に恥ずかしく、そして悲しい。

それが必要だから、通訳を介して仕事をすることが業務の一部であることを受け入れながらも、それを当たり前だと驕らずに、自分の仕事を支えてくれ、一緒に仕事をしてくれる同僚への感謝を忘れず、自分自身にできることは何かを問い続け、少しでも彼らの負担を減らそうと努力すること、どうしてそういう姿勢を持てなかったのか、と今でも悔やまれる。

そんな自分の過去について、できることならもう一度やり直したい、現場の同僚みんなに謝ってまわりたい、と願う気持ちはいつもある。その気持ちの存在を認めながらも、そういう気持ちを今に、これからのためにどう活かしていこう、と考えること、それこそ今の自分にできることだし、すべきだろう、と思う。

そして、これもやはりリーダーシップの問いなのだと思う。

言葉とリーダーシップ

当たり前のことかもしれないけれども、知識を得て深めたり、専門性を高めたり、経験年数を重ねていくことだけが、プロフェッショナルとして成長することではない。

それ以上に大切なのが、現時点での自分にできることとできないことを見極め、できないことについては、謙虚な気持ちで、それを補うために手を差し伸べてくれる人に感謝しながら、仲間として、一対一の人間同士として、関係づくりをすることではないだろうか。

自分が暮らし、働くその土地の言語とどう向き合うか。同僚や周囲の人たち、そしてその環境に対して、どのような姿勢で向き合うか。

そういうことについて、自分のことを内省してみること、それは異なる国でプロフェッショナルとして働く上で、とても大切なことだと思う。

今現在私が生活しているオランダに目を向けてみると、高い専門性を持つ外国人が就職先を思うように見つけられず、悶々と悩んだり、悔しい思いをしている声を耳にすることがある。

英語は流暢で、その分野の専門家でもあるため、「この仕事は必ずしもオランダ語を必要としないのだから、自分こそ採用されるべきではないか」と感じたりしているようだ。そして、採用されない理由を、もしかしたら自分の国籍や性別などの属性やバックグランドのせいではないか、つまり、何らかの差別やアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)ではないかと思ってみたりする。

その気持ちは、痛いほどよくわかる。でも、求人票の内容を読んで、英語でも遂行可能な業務だとか、言語よりも専門性のほうが大切だ、と感じても、必要言語として、英語に加えてオランダ語「ビジネスレベル」、ましてや「ネイティブレベル」と書かれているのであれば、それには意味があるのだと思う。

ここはオランダだからだ。

ここで暮らし、働くということは、その社会の一員として何らかの貢献をしていこうというマインドセットを持つことだ。そして、そのためには、やはりその土地の言語を知る必要がある。

言語を学ぶということは、単に言葉を覚えることではなく、その社会のしくみ、人々の考え方、価値観、傾向、歴史、文化について知ろうとすることなのだと思う。

オランダ社会は、「英語がよく通じる」社会だと言われるし、私がライデン大学法学部で勉強した時に思っていたように、「オランダ語が分からなくても全然大丈夫」(税務署や移民局からの手紙をのぞいて・・・それも今は翻訳アプリで簡単に理解できるかもしれないけれども)という気持ちでも暮らしていけないことはない。

でもやはりそのマインドセットでいると、その程度にしかこの社会のことは分からないのだと思う。そして、自分のできる貢献とその可能性にも限りがあるということなのだろうと、最近思い始めた。

英語で用が足りてしまう(ように感じる)国だからこそ、英語だけでは実はどれだけ浅い部分でしかこの社会と関わっていないのか、感じにくい。英語だけで暮らすことは、実は本当にその社会に関わらずに宙に浮いている、バブルの中で過ごしているようなものなんだということを、ますます強く感じている。

もちろん、オランダには「数年いるだけのエクスパットだから」と割り切っているならいい。それでも、その姿勢のリミテーションはしっかりと認識して、言語だけでなくその根底にある文化や社会構造、人々のマインドセットといったところ、そういうことに関してヘルプを差し伸べてくれる現地の人(もちろん、英語が流暢に「見える」多くのオランダの人々も含め)への感謝は忘れない方がいい。

これから

B2のディプロマを取得したことは、自分にとって一つの大きな節目ではあるけれど、まだまだプロセスの途中でしかない。「本当にB2?」と思うくらい、人との会話でも、「Nederlands? Engels?(オランダ語?英語?)」と聞かれると、未だについ気後れして「Engels, better voor mij, dank je(英語の方がいいですね、ありがとう)」と言ってしまうし、新聞を読むのはまだまだ知らない単語が多くて億劫だし、テレビのニュースの独特の言い回しも、分からないことがほとんど

勉強はもちろん続けていくけれど、ディプロマを取ったので、これからは過去問の分析や練習から離れて、さらに好きな方法で勉強していけるという解放感があり、楽しみな気持ちがしている

これから書いていきたいこと

50歳代での外国語学習について、若い人にこう伝えたいということと、語学学習は一人でもできるけれど、人との出会いが力になるということについて書いていきたいと思う


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